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2011年8月 5日 (金)

『この世界の片隅に』前・後編(こうの史代)の感想

 漫画『この世界の片隅に』前・後編(こうの史代・双葉社)の感想を申します。いくらかのネタバレがありますので、ご注意ください。

 この漫画は今日、日本テレビ系で終戦記念ドラマスペシャルとして、北川景子、小出恵介、優香、速水もこみち、りょう、芦田愛菜といった出演で、放送されるそうですね。おもしろいといいですなあ。私はテレビ視聴があまり得意でないので、原作本を買ってレビューしてみます。

 お話は、一言で言うと、太平洋戦時下を懸命に生きる、すずという、若い既婚女性の物語。厳密には、昭和9年1月、すずが子どもだった頃の短編作品から始まり(短編はこれを含めて3本)、『この世界の片隅に』本編が第44回までと、最終回は昭和21年1月で終了していますから、長いといえば長いスパンですね。舞台は、未婚のすずが住んでいた、広島市江波(えば)と、すずの嫁ぎ先、広島県呉市で、後者がメイン。広島市はもちろん、原爆が投下されていますが、呉は海が美しい、風光明媚な地である一方、呉鎮守府があり、広工廠、十一航空廠、海軍航空隊もあり、戦艦大和、重巡洋艦青葉などが製作され、停泊し、市民の目の前の海を航行していたそうです。原爆の直接的被害はなかったものの、奇妙な閃光と巨大雲は目撃され、翌日から広島へ救助活動を始めるなどしています。つまり、沖縄についで、戦争がごく身近に存在していた街であるわけで、大本営発表? の「空襲による被害は軽微」という内容を、誰も信じていない様子まで、詳細に描かれています。

 なので、あらすじは、とてもシンプル。そんな呉の北條家に嫁いだ、絵を描くのが得意な、「普通」の若い女性、すずが、慣れない結婚生活(夫の周作は、海軍の録事〈書記〉です)に戸惑い、苦労し、時には心身にひどい痛手を受けながらも、力強く生きていくぞ、というもの。「え、それだけ?」と思われますか? それだけです。これは、偉大な「普通」の物語です。
 後編第21回で、すずの元学友、水原哲が、彼女と二人きりの時(既婚女性と未婚男性が二人きりになる状況など、現在では考えられませんが、非常時だからでしょうね)に語る台詞が、このお話のテーマの一部であると思います。なかなかいい言葉ですから、引用いたしましょう。

「じゃけえ すずが普通で安心した/すず」
「すずがここで家を守るんも わしが青葉(重巡洋艦)で国を守るんも 同じだけ当たり前の営みじゃ」
「そう思うて ずうっと この世界で普通で・・・・まともで居ってくれ」
「わしが死んでも一緒くたに英霊にして 拝まんでくれ/笑うてわしを思い出してくれ/それが出来んようなら 忘れてくれ」

 水原の登場は、これが最後になりますから、どうやら戦死したようです。
 淡々としながらも、すずはややドジっ娘なせいか、かなり長い間、周作の姉、径子にいびられ続けます。さらに、昭和20年6月、径子の一人娘で、国民学校に入ったばかりの姪、晴美と二人でいたところ、時限爆弾にあい、晴美は死亡、すずも右手首を失います。すずは、径子から、「この人殺し」呼ばわりされ、ただ呆然と、包帯で巻かれた部分を見つめながら、右手ごと失われた思い出にひたります。何よりも、玉音放送を聞いた後の、すずの失望と怒り、無念やるかたなく、畑に伏せて大粒の涙を流す場面は、まさに悲痛。
 他にも、夫、弟と続けて戦死し、次に出征した息子は被爆して、必死で戻ってきたのであろうに、母に判別してもらえず、身元不明遺体として葬られた、刈谷家のエピソード、広島市中心を歩くすずに、「サチコさん」「キヨコさん」などと、見知らぬ人から声をかけられ続け、そんなすずも、知人を発見して駆け寄ったら、別人であった(後編第44回)という、多くの人々が誰かを探し続けている、というもの。道に迷ったのがきっかけで知り合った、遊郭の女性、白木リンを、すずは懸命に探したものの、跡地は空襲後の無残な瓦礫が残るばかり(後編第41回)などなど。
 このように、なかなか悲惨な場面、エピソードもあって、反戦漫画と感じられなくもないのですが、信じられないことに、たっぷりと、ユーモアや温かい、なつかしいようなエッセンスが加えられているのです! 楠木正成が、漫画で、楠公飯(なんこうめし)の料理法を教えたり(描いたのは、すず? それとも、すずのイメージかな?)(前編第8回)、隣組という有名な歌に合わせて、近所づきあいに苦心する、すずの姿が楽しく描かれたり(前編第4回)。前編後編で、時折入ってくる、「鬼イチヤン」という、すずの漫画のモデルは、短気な兄の要一で、怪獣みたいに描かれます。そんな要一が戦死した際、骨箱に入っていたのは、小さな石一つ。考えてみれば、かなり痛ましいのですが、すずの母は、どうやら脳みそらしいその石を、「へんな石じゃ (要一が)かえった時 笑い話にもなりやせん」と、あっさり言い放ち、一同は、「ごもっとも」と声をそろえます。
 読んでいるうちに、痛感されるのは、「太平洋戦争時だろうと、あの頃はそれが日常だった。みんな、精一杯、生きていた。不自由ではあったけれども、人生を楽しんでいた」ということです。それは救いではないし、戦争の悲惨さが軽減されるわけではありません。が、今の私達が、一人ひとりの人格を無視し、身体や知的障害者を邪魔者扱いした、あの時代の価値観をこそ批判できても、おじいちゃん、おばあちゃん達を、さげすんではならない、と思います。
 難しく申しましたが、あの頃の衣食住の工夫は、なかなか見事。私は洋裁好きなので、着物をモンペに縫い直すのは、ちょっとやってみたいように思います。食べ物は、はっきり申して、あまりおいしくなさそうですが。つまり、そのくらい、この漫画では詳細に描かれています。参考文献に、私も読んだ、『サザエさん うちあけ話』(長谷川町子)が挙がっていましたが、『この世界の片隅に』も、充分に当時の庶民の生活記録になっているのでは?

(参照)
『サザエさん うちあけ話 サザエさん 旅あるき』の感想

 さて、私は以前、『夕凪の街 桜の国』の感想で大泣きしたと、申しましたね。今回は、胸にジンジンせまりはしましたが、泣きませんでしたね。たぶん、それは、このお話が笑いあり涙あり、傷みあり救いあり、という、一見軽く、しかし重くもあるからであろうと思われます。大人向けの場面はありませんから、反戦漫画、太平洋戦争時の暮らしを知る資料漫画として、小学生でも読める内容だと思います。しかし!
 しみじみと、悩ましい場面、今までにないドロドロした関係もあります。周作とすずは、何度か接吻していますが(どのお話か、秘密)、見つめ合い、指をからめ、顔を引き寄せ・・・・と一連のしぐさが何とも自然であるゆえに(自主省略)。加えて、周作とすずと水原、周作とすずと白木リンと、かなりディープなダブル三角関係。ほのぼのとした中に、すず、周作なりの重く暗い感情を読み取るのも、おもしろいと思います。
 私が感動したのは、晴美と右手首、白木リンなど、かけがえのないもの達を失ったすずですが、何と径子と和解します。さらに、原爆の痛手がのこる広島の中心で、占領軍と徹底抗戦するのか、所在不明だった周作と再会でき、すずは心からありがう、ずっとそばに居ってくださいと言います。すずの悲しみは続くでしょうが、晴美を思って、空に描く、立派な戦艦(晴美のお気に入り)が進み、無数の白うさぎが海に跳ねるイメージは、本当に美しく優しい。白黒の漫画であることを忘れそうになります。
 けれども、このお話はWEB上の感想では、なかなか辛辣なご意見も読みました。絵、テーマ、人物の掻き分けが、ほとんど変わっていない、手抜きだ、というものもありましたね。私から弁解させていただきますと、目立たない、普通の人のお話を描くのは、たぶん、歴史上の偉人を物語るのと同様、非常に難しいのです。なぜなら、普通=平凡だから、平板だから。熱い思いはあっても、時間が押し流して、何が何だか、わからなくしてしまうから。それを、あえて、作者様は、すずという、呉に住む女性の生活や思いを、破綻なく描ききりました。すばらしいことだと思います。お勧めですよ。それでは。

(参照)
『夕凪の街 桜の国』の感想

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