『蠅の帝国 軍医たちの黙示録』(帚木蓬生・新潮文庫)の感想
短編小説集『蠅の帝国 軍医たちの黙示録』(帚木蓬生・新潮文庫)の感想を申します。いくつかのネタバレが含まれていますので、ご注意ください。
こちらは、太平洋戦争とその後における、それぞれ異なる場所を舞台にしている、軍医たちを主人公にした(すべて一人称)、15本が収録された短編小説集です。
正直言って、どれもこれも、「戦争は怖い、駄目だ」という一般認識が軽薄に感じられてしまうほど、むごたらしい内容です。
もちろん、激戦地における一般兵士の運命の残酷さ、かけがえのないはずの命のもろさゆえなのですが、何よりも。
軍医という、一応最前線には立たなくてよくても(士官扱いだから、平和時には、二等兵などより優遇されています)、負傷兵の数が多すぎる上、医薬品や食料が不足し、救えるはずの命が呆気なく失われ、栄養失調で死ぬ兵士を横目で見、移動や部隊の安全確保のため、遺体の回収さえできず、昼夜を問わず働いて、自分の命さえ危うくなって……という悲惨さが繰り返し描かれ、読んでいて、何度も本を置いてしまいました。
少なくとも、私は、太平洋戦争を、大昔の出来事として扱ったり、「昔の人は偉かった」「多くの尊い犠牲のおかげで、今の日本がある」と、賛美したりするのは、間違っていると思います。
なぜ、あの戦争は起きたのか。
防ぎようがなかったのか。
真に責められべき、反省すべき点は何なのか。
戦勝国に対して、本当に糾弾しなくてよいのか。
このようなことを、今後とも、考えていくつもりです。
15本の作品は、掲載順に挙げますと。
「空襲」「蠅の街」「焼尽」「徴兵検査」「偽薬」「脱出」「軍馬」「樺太(サガレン)」「土龍(もぐら)」「軍医候補生」「戦犯」「緑十字船」「突撃」「出廷」「医大消滅」
「空襲」では、冒頭の作品にふさわしく、特攻隊員に最後のゴーサインを出す(形式的とはいえ)のが軍医であることに、衝撃を受けます。加えて、空襲の爆発の恐ろしさが語られます。
「医大消滅」は、中国で理想的な医大に主人公は出会い、学ぶのですが、終戦によって、右往左往する羽目に。引き揚げの混乱で、大勢の人々を助けつつも、同様に苦しむあたり、はらはらします。一応、無事に帰国できたものの……。
「軍馬」、乗馬経験のある私は、ちょっとなつかしくなりました。ウソのように、ほのぼのしたお話ですが、最後の一文によって、痛切な気持ちになります。この作者様、締めくくりが、かなり巧みなのかも。
「緑十字船」、対馬丸の遭難は知っていましたが、私はこちらの方を失念しておりました。猛省。
「土龍」、沖縄戦のお話です。これまた、私はひめゆりの塔だけ知っており、他の負傷兵たちは米軍に投降して終わったものとばかり、思っておりましたが、これまたラストで、言葉を失うほどの結末になります。月並みな言い方ですが、むごい!
「焼尽」、3月10日の東京大空襲で、主人公は家族の無事を祈りながらも、任務に励みます。ようやく、妹に会えましたが、父と弟とは、遺体を探さねばなりませんでした。乳児をかばった母親など、痛ましい描写に、こちらも胸が苦しくなります。
「蠅の街」、作品中のトップレベルの完成度かと思います。主人公は被爆後の広島を訪れ、放射線の影響を調査しながらも、人々の治療にあたります。住民が語る、被爆間もない様子、爆風や熱戦で変形した遺体が、もう、何も言えません。しかも、やはり、ラストで、精一杯がんばった軍医たちに、自然の猛威が襲いかかります。神様、どうして! と、私は心の中で叫んで、涙が出そうになりました。
一口に、太平洋戦争といいますが、多種多様な状況、苦しみあえぐ兵士や人々を知るために、この本は最上級の資料といえましょう。お勧めいたします。次は、『蛍の航跡』について語ります。それでは。
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