『蛍の航跡 軍医たちの黙示録』(帚木蓬生・新潮文庫)の感想
短編小説集『蛍の航跡 軍医たちの黙示録』(帚木蓬生・新潮文庫)の感想を申します。ネタバレが含まれていますので、ご注意ください。
構成内容は、前回ご紹介した『蠅の帝国』と同じです。収録されている、15作品のタイトルは、次のとおり。
「抗命」「十二月八日」「名簿」「香水」「軍靴(ぐんぐつ)」「下痢」「二人挽き鋸(のこ)」「生物学的臨床診断学」「杏花(シンホア)」「死産」「野ばら」「巡回慰安所」「行軍」「アモック」「蛍」
『蛍の航跡』では、私的には、軍隊内の悲惨な状況にも増して、精神的に衝撃が及ぶ感覚が多かったように思います。
それでは、いくつかの作品の感想を挙げますね。
「名簿」は、作品中で、もっとも緊張する展開でした。日本人捕虜への虐待行為をなかったことにするべく、記録物を抹消しようとするソ連側と、彼らの生きた証しを必死で残そうと、苦心惨憺する軍医。名簿が見つかれば、即刻、没収、焼却される上、銃殺されてしまいます。丸腰の日本側は圧倒的に不利。けれども、名簿は、要するに死亡確定記録なので、ラストでは救いようがあるような、ないような。
「二人挽き鋸」、シベリアでの過酷な生活が語られますが、前半の、狡猾なM少佐に苛立ちます。ラスト近くのN見習い士官は、心が病んでいたのでしょうか。しかも、この地獄は終わっていないという。
「下痢」は、もっとも長い作品ですが、内容はレポートのように淡々としています。増えていく病兵と負傷兵、彼らを運ぶ衛生兵も、マラリアや下痢に悩まされ、命が次々と失われていきます。特に、印象的だったのは、川を渡る時、流されまいとして肩を組み合っていても、何人かが脱落します。立ち上がればよいのですが、荷物が重く、体力もないので、できない。助けてやろうにも、他の者にも余力がなく、流された兵士は、河口で鰐に襲われるであろう、との冷徹な予測。彼らも、戦死扱いだったのでしょうか。軍隊の兵士が、こんなむごい最期を迎えるって……。
「野ばら」は、あの名曲が、後半で悲惨なものに変わります。
「蛍」、日本では決して見られない、数えきれない蛍の大群は、やはり、不吉なものだったのでしょうか。冒頭から、主人公は救命胴衣をつけていたために、撃沈された戦艦から助かったのですが、筏につかまっていた他の兵士たちは、力尽きて、次々と海に沈んでいくのを、ただ見つめるしかなかった、という悲惨な出だしです。そして、野波中尉という破天荒な人物と知り合うのですが、楽しい経験をしたものの、彼は病気で倒れます。主人公は繰り返し、野波の名を呼ぶしかありませんでした。悲しい。
「香水」は、『蛍の航跡』で、私がもっとも胸を打たれた作品です。前半、戦死したと思われていたS軍曹が、国民政府軍(敵です)の方向にいて、懸命に手を振っているのを見、「捕虜になった」と決めつけ、「これでは砲撃ができない」「泣いて馬謖を斬る」と、彼へ砲撃を浴びせます。もちろん、跡形もなくなりました。「捕虜になったら、生きては帰れない」のは、S本人が重々承知のはず。奇跡的に、生き残って、助けを求めていたと、考えるのが普通でしょう。これは、ひどすぎる! このような死に方も、やはり、戦死扱いでしょうか。後半は、長い手紙を肌身離さず身に着けていた、名もない二等兵のお話で、香水の使い道について書いた、便りの内容に泣きそうになりました。
『蠅の帝国』と続けて読むと、本当に心苦しく、暗い気分になります。が、軍医と兵士たちの苦しみは、戦争の恐ろしさ以上に、忘れてはいけないことだと思いました。お勧めいたします。それでは。
ご協力お願いします。
| 固定リンク | 0
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 『オプス・ピストルム ’30年代パリの性的自画像』(ヘンリー・ミラー 田村隆一/訳 富士見ロマン文庫 No.89)の感想(2023.12.02)
- 『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 三浦みどり/訳 岩波現代文庫)の感想・その4(2023.11.28)
- 『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 三浦みどり/訳 岩波現代文庫)の感想・その3(2023.11.25)
- 『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 三浦みどり/訳 岩波現代文庫)の感想・その2(2023.11.19)
- 『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 三浦みどり/訳 岩波現代文庫)の感想・その1(2023.11.18)
コメント